2007年01月25日

最終話『いかずごけ』by Y

少女はおとなになりました。 そして・・・・・・


「あんた、いつになったら結婚すんのよ。いくつになったっけ、あ・ん・た」
「はやく孫の顔が見たいねえ、産めるうちに産んどかないと後悔するよ」
「理想が高いのもたいがいになさいよ。いい男がいつまでも独身でいるはずぁないでしょうが」

おおおお、耳のタコが、耳のタコが。耳の底に幾重にも幾重にもへばりついたタコたちのもだえる声がこだまする。そんな「いかずごけ」の読者の皆さん。また反感買ってますか、私?

「♪金襴緞子(きんらんどんす)の帯しめながら 花嫁御寮はなぜ泣くのでしょ♪」
ゆくも地獄ゆかぬも地獄、結婚ってどちらにしても重い足かせなのでしょうか。

「♪若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから だいじょうぶなの♪」
いえいえ、若けりゃ物欲で結婚もできましょうが、年をとってからこそ愛がなきゃダメなんだよね。


そういや一年前、あの梅木楓(うめのきかえで、仮名)が嫁ぐ日は雨だった。怪談話の雪女だとからかった彼女が、その朝に、「妖怪の輿入れにふさわしい空模様でございます。では行ってまいります」とメールをよこして、そこにいさぎよさとさびしさと、そして静かな笑みを感じてしみじみとしたものだよ。まるで木立の中を馬の背にゆられて角隠しに顔を隠した花嫁衣装がゆっくりとゆっくりと進んでゆくようだったよ。細かな雨のむこうに柔らかい日差しを感じたようだよ。これまでの半生とこれからの半生。少女のころから書きためた思いは今日を境に振り捨てようと思い決めて、まだ形すらない明日からの暮らしにとまどいながら馬の背にゆられていたのだね。ほの青い頬にうっすらと紅がさすころには、花嫁はまたひとつの道を選びはじめる。小道のむこうからあなたが姿をあらわすと、光の帯が白くあたりを照らした。もはや迷いなき道。



ひとつが終るとまた新しい何かが始まる。
「いかずごけ」と「いかずやもめ」が肩寄せて、迷いながら迷いながら、日々の思いを書きためてきた。秋から春へ。ふた巡りのたわいなく、ささやかな思いの連なりをエッセイという形の日記帳としてひとまずの終わりを告げます。
そっとページを閉じましょう。
ぱふ


(次は競作にて・・・)
posted by 酔いどれ at 01:47| Comment(44) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月22日

第二十二話 染まる白、染まりにくい白 (by やまん婆)

牛乳飲んで、さー掃除だ!
予定がなかった久方ぶりの週末。家の大掃除をする。

出窓の、とあるモノに目が留まる。直径10cmほどの白い礫岩。職場でいろいろもがき苦しんでいたとき、ふと海が見たくなった。日本海まで遠出して、拾ってきた石だ。今はペーパーウェイト化しているが、対にと、一緒に黒い礫岩も拾った。

この石を拾ってきてから、片手の指を折りきれる年月が経った。職場を移り、仕事の幅が広がり、いろんな務めを負うようになってきた。「この石を拾ったときの拾ったときの自分と、今の自分、同質か?」

からだ、こころ、しゃかい、かちかん、かんがえ、せいかく、…

大きく変化した部分もある。もちろん変化しない部分もある。その、変化しない部分があるがゆえに、これでいいのか?と日々悩む自分が居る。でも、今の務めはいろんな人と出会えて、とても楽しい。

昨夏、妹が結婚した。シルクのウェディングドレスがとても素敵であった。ところで、花嫁衣裳の白は、純潔だとか、清浄だとか、嫁ぐ家の家風に染まるだとか、いろんな意味があるらしい。「え? それって、女性の意志は全くないのか?」と考えてしまった。白って無の色なの? じゃ、有を意味する色は?

では、今の私は…白ではありたい。しかし、しばらくは‘染まりにくい帆布の生成り’で居たい。

(最後はYさん)
posted by 酔いどれ at 13:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月14日

第二十一話 ミルキーはまぁまぁの味 byこもく

 ミルキーで知られる不二家が洋菓子の生産を一時ストップ。
工場でシュークリームの原料に使った牛乳が賞味期限を一日
過ぎていたことが原因らしい。

 ちなみに、ミルキーといえばペコちゃんだが、若かりし頃、
こんな私もペコちゃん人形のコレクターの1人だった。

 カラダから土台まで全部ソフビ製のものは、今ではマニア
の間で3万円以上で取引されている(取っとけば良かったな
あ)。

 当時、こもく少年はそれとは違うロゴが入った金属製の土
台の上に立つ珍しいペコちゃんも持っていた。

 あれは、高校生の頃よく下校時に仲間とたむろしていた駅
前のインベーダー専門ゲーセン&回転饅頭屋で手に入れたも
の。

 愛想の悪いおばちゃん主人、ひさこちゃんに下げたくない
頭を下げ、拝み倒して譲っていただいたもの(その割には、
すぐにくれたんだけど、これもどっかにいっちゃった)。

 いずれにせよ、今回の事件は元コレクターの一人として、
とってもショッキングな出来事。

 許せん! 私が許せないのは、たった一日過ぎただけのこ
とでぎゃーぎゃー騒いでるマスコミだ。

 だいたい賞味期限なんて余裕もって表示してあるんだもの、
そのくらいで菌なんか発生しないっちゅーの。

 我が家なんて、そんなの日常茶飯事。さっき冷蔵庫の中を
覗いたら、案の定、
先週とっくに賞味期限切れてた納豆とヨーグルトがあった。

‥‥これはさすがに食べれない。

 あ! もしかすると、今回のこの事件は「ミルキーだけ作
っとけばいいのに。生意気にケーキなんか作りやがって」と、
不二家の洋菓子部門を日頃から好ましく思ってない、ライバ
ル企業の陰謀かもしれない。

 けど、はっきり言って不二家をいじめても一文の得にもな
りません! 

 不二家の洋菓子なんて極端にまずくはないけど、ただ甘い
だけで、特別美味しいものでもない。ひいき目に見ても、

「ミルキーはまあまあの味」に決まってるのだ。他社の売り
上げに影響するとは、とても思えない。

 若い頃、転職王と呼ばれていた私が20代半ばで勤めていた
某大手製パン会社の工場では、衛生面への過剰な管理体制の
おかげで、目の前の生産ラインを消毒液臭いサンドイッチが
流れていたっけな。

 あれを見たら、コンビニの菓子パンで食中毒が出るわけな
いのがよく理解できる。

 賞味期限を一週間過ぎても、カビも生えなければ生地さえ
硬くならないことに、誰も疑問を持たないのが不思議だ。

 これよか賞味期限が1日過ぎた牛乳の方が、百倍安心に決
まってるのに。

 現在、不二家の全国の工場はすべて稼動停止中。きっと、
不二家もあのパン工場並みになるのは時間の問題だ。あーあ。

  「やっちゃった」

店頭に立つペコちゃんが、お茶目に舌をぺロッと出していた。
posted by 酔いどれ at 23:13| Comment(3) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月07日

第二十話目『神様に叱られた』 廣瀬眞美(姐)

迷子なんて、子供がなるもんだ。


………とは限らない。


私は今でもしょっちゅうやらかす。

超ド級の方向音痴なのだ。



毎日働く会社の中でも、トイレから出ると、毎回必ず、自分の部署に帰るにはどっちに行くんだ?と迷ってしまう。

ひとりで旅行をする時は、ちゃんとホテルに帰れるように、まるでヘンゼルとグレーテルのように道々に目印を決めて進んで行くけれど、スムーズに一度で帰れた試しはない。



35にもなってこの始末だが、まあ日常生活には支障がないのでヨシなのだ。




いちどだけ、何度、どう考えても、いまだに理解できない、不思議な迷子の体験をした。

あれは、小学校の3年か4年の頃。
桜が満開の季節だった。

その日はあまりにもいいお天気で暖かく、またおこづかいをもらったばかりで懐も暖かだった。

私と、友達のひさこちゃんは、お習字教室をさぼって、観音山にお花見に行くことにした。

母親にはもちろん、お稽古に行くと嘘をついた。
記憶にある限りでは、それが、親についた初めての嘘だ。


山と言っても、小高い丘に毛の生えたようなもの。

学校の遠足や、家族とのピクニックなどで、何度も登ったことのある小さな山だ。


ひさこちゃんと私は、途中駄菓子屋でおやつを買って、わくわくと弾んだ気持ちと足取りで山に登った。

頂上までは、15分もあれば充分。
登りきった場所は整備されて小さな公園になっており、たくさんの桜が植えられている。

思わずわぁーっとふたりで声をあげたほど、満開の桜の花にあふれたその場所は、ふんわりと夢の世界のように美しく、いちめんのピンクに彩られていた。

平日の午後のせいか人はいない。
誰かにみつかるという心配もなく、私達は思う存分花見を楽しんだ。

ふと、公園から少し進んだところに、鉄眼禅師という偉いお坊様をまつった碑があることを思い出し、確かその辺りにも桜の木があったはず、と、私達は行ってみることにした。


公園から先の道は、うす暗く少し険しい山道だが、まだまだ充分明るいし、大人に内緒の冒険を、もうちょっとだけ楽しみたくて、私達はぐんぐん進んだ。

碑の周りの桜も満開だった。

ベンチに腰かけておやつを食べ、なんやかやとお喋りをしているうちに、いつの間にか辺りはうす暗くなっていた。


暗くなると、心細くもなる。
そのせいか、ようやく嘘をついたことへの罪悪感もじわじわとわいてきて、私達は急いで家に帰るべく立ち上がった。


来た道を戻り、もうすぐ公園に出る!と足を早め、辿り着いたのは………。

なんと、先程の碑のある場所。




………………なんで?


一本道だし、確かに前に進んで来たのだから、元に戻るなんて有り得ない。


しかし、辺りはどんどん暗くなるので、立ち止まって考えている暇はない。

気を取り直し、もう一度来た道を戻る。


なのに、またもや先程の碑のある場所に辿り着く。
そんなことになるはずがないのに!!!!


錯乱した私達は、泣きながら、ただもうひたすらに来た道を走って戻るのだが、三度目も四度目も、やっぱり碑に辿り着く。


そんなことを、何度繰り返しただろうか?


半狂乱の私達は、わけがわからず、
「ごめんなさい、ごめんなさい」
と泣き叫びながら、荷物を振り回して、公園を目指して走り続けた。


一体何度目だったのだろう。
ようやく公園が目の前に現れたのは。


嬉しさと、そして恐ろしさの混じった泣き顔で、私達は一目散に山を下り、手を繋いで帰り道を走った。


悪いことは重なるもので、途中に、前日の雨でできた大きなぬかるみがあり、まだ錯乱したままの私達は、二人モロともズボリとはまって転んだ。


全身泥水まみれになったが、そんなことよりも、今はただただ我が家に辿り着きたい一心で、私達は怯まず立ち上がり、再び走った。


家の手前の曲がり道でひさこちゃんとは別れ、一人になっても私はひたすら走った。


家の門前で、心配して迎えに出ていた祖母の姿をみつけた時には、どんなに安堵したことだろう。


勢いをゆるめずに祖母の胸に飛び込み、彼女のエプロンを泥だらけにしながら、その腰にしがみついて、私は更に大きな泣き声をあげた。


あまりに錯乱し、泥まみれで泣き続けたせいか、先程の体験をしどろもどろに語る私に異常を感じたせいか、嘘をついたことや、お稽古をさぼったことについては、そんなにひどくは叱られなかった。



後で落ち着いて考え直してみても、あの時の体験は本当に不思議でたまらない。


親や友達や先生や…。
誰に話しても、信じてはもらえなかった。
無理もない。

たった一本しかない道を、私達は確かに戻ったのだ。
迷うはずなど有り得ないのだ。




親に嘘をついてお稽古をさぼった私達に、神様がきっと罰を与えたんだろう。


しばらくの後、私達はそう結論を出した。

どう考え直してみても、他に説明のつけられない、本当に不思議な出来事だったのだ。




あれから30年近くたつ。

たまの同窓会や、彼岸や盆暮れの墓参で偶然会った時には、必ずひさこちゃんと、あの時の話になる。

大人になって思い出しても、やっぱり不思議な出来事で、

「神様に、嘘を叱られたんだ」

という結論になる。


まだ純粋な、透明な心を持っていた筈の、子供だった私達だからこそ、神様が罰を与えたのだ、と。



あれから、私はたくさんの嘘を、たくさんの人についてきた。

小さな嘘も、少し大きな嘘も…………。


色んな垢にまみれて、純粋な子供ではなくなった私に、もう神様は、いちいち罰を与えてはくださらない。



いや、本当は、その都度、もしくはまとめてどーんと、やっぱり罰を与えてくださっているのに、それに気づかないほどに、心が濁ってしまったのか。




何より罰当たりなのは、ちょっとした迷子になる度に、あの出来事を思い出すことだ。




嘘をつく度に、ではなく。

(了)



(次回はこもくさん)
posted by 酔いどれ at 02:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月31日

第十九話目『迷子』 やす

まいご【迷子】 〔「迷(まよ)い子」の転〕
 …自分の所在が分からなくなり、目的地に到達することが困難な状況に陥った子供、もしくはその状態を指す。


 迷子は楽しい、実に楽しい。
そりゃぁ子供の頃の迷子は、ひとりぼっちで、不安で、恐くて、家に帰りたくって、お父さんお母さんはどこって、泣きたくなって。 ただ、大人になって様々な情報が入りだすと不安が一転、楽しみに変わる。

この日本において道路を行く限りまず命に危険が及ぶことは無い。ある程度進めば場所を示す看板があり、町があり、人が居住し、警察は各町にある。安全なのだ。(ただ最近の治安の乱れにはムムム・・・なのだが)
だから例え迷子になったとしても、なんとかなるという“安心”があるのだ。

大通りから一本の知らない道に入る。そうすると、そこには今までの目的地までの“ただ通過していた”だけの道は無く、どこへ繋がるかも分からぬ、どんなことが待ち受けているかも分からぬ、それ自体に意味を持ったミニ冒険の世界の入口が待っているのだ。全てのものに関心が届き、道に家に物に、新鮮な心で接することが出来る。うわぁあの岩変な形! あ、あの木に咲いている花きれい! ん?この建物は何だ?・・・
感動の景色が待っているかもしれない、ガイドブックには載らない様な穴場が見つかるかもしれない、温かい人情に触れるかもしれない。これまでの経験なんか意味がない、何が起こるか分からない、だって今迷子なのだ。

************************

 もう何年も前、心が迷子になった。彷徨い彷徨い、気付いた時は秋田にいた。10年前バイクで日本一周した時の交通事故の相手が住んでいる。その時凄く良くしてくれて、その後も賀状のやり取りが続いていた。
日も落ち暗い中、電話がいっこうに繋がらずとりあえず行ってみようと、記憶を元に道を聞きながら探した。見つけた家の前でしばらく待っていたが結局会えなかった。(後日、自宅はそのままに夫婦共々別の県で働いていることが判明した)
なんだか帰ろうと思った。ここまでの道のり、何も知らない私に出会った人達は皆優しかった。「車で寝泊りするんだったらあそこが安全だよ」「○○に行ったらどうだい」「あの店で試食し放題だよ、一緒に行こう」「これどうぞ食べてください」
迷子になった心は、いつしか戻りつつあった。

大変迷惑をかけたにもかかわらず、親兄弟そして事情を知る周りの皆は以前と同じ様に変わらず接してくれた。心を感じさせてくれた。もう迷惑をかけることはあるまい、もう迷うことはあるまい。そこには“安心”があったのだ。

************************

迷子は楽しい、実に楽しい。もちろん道に迷う方の迷子だ。
歩いて行ける近所だってかまわない、いつもの会社からの帰り道だってかまわない。先の見えない知らない道に入ってみよう。そこにはこれまで見たこともないような新しい発見が待ち受けているかもしれないのだ。

(次回は姐さん)
posted by 酔いどれ at 12:00| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月26日

第十八話目『犬が好き』三女

私は犬が大好き。
幼少時代、犬に2回も咬まれた(しかも同じ犬!)経験があるけど、やっぱり好きなものは好きなのだ。
犬を見ると、ム○ゴロウさんみたいに『ヨ〜シヨシ』と撫でたくなる。
(犬バカというより単なるバカのような気がするが、きっと気のせい・・・。)

我が家に犬がやってきたのは、私が中学2年の夏だった。
今まで散々犬を飼いたい!!とねだっても、絶対に首を縦に振らなかった父が、「職場の近くをウロウロしていたから。」と突然犬を連れて帰ってきた。
全身茶色のどこにでもいそうな雑種の子犬。
何の心構えも知識もないのに、突然犬との生活が始まった。
名前はまだ決まってないと近所のおばちゃんに見せた時、
「あ〜、この顔はジョンよ。ジョンにしなっせ!」
とメス犬なのに“ジョン”と名付けられ、御飯は味噌汁かけ御飯、人間用のシャンプーを使ってハゲさせてしまったりと、今考えると本当にダメダメな飼い主だった。
それでもジョンは、私達家族によく懐いてくれた。
父には特に。
父の仕事の車(軽トラ)の音が近づくと、尻尾をちぎれんばかりに振って甘えた声を出した。

忘れられ無い出来事の一つが、“花火事件”。
隣町で花火大会が行われる日、花火を見ようと父とジョンの2人で近くの山に出掛けた事があった。
カミナリ犬”という言葉もあるくらい、犬はカミナリや大きな音が苦手。
案の定ジョンは花火の音に驚き、父とはぐれてしまった。
父はかなりの時間その周辺を探し回ったらしいが、とうとう見つける事ができなかった。
翌日も仕事の合間に探してみるがそれでも見当たらない。

その頃私は親元を離れて暮らしていた。
ちなみにジョンはその山に来たのは初めて。
しかも父の軽トラックに一緒に乗ってきたので、当然道は知らない。
電話でその事を知った時に父を強く責めてしまったが、電話口で元気の無い父の声を聞き、
『根気よく探してたらそのうち見つかるよ。』と言って電話を切った。

そして事件の3日目の早朝、家の外で「ワンワン!!」と犬の鳴き声が聞こえた。
慌てて母が外に出ると全身にバカ(草の種)を付けて、ジョンが帰って来たではないか!
2日間ほとんど飲み食い無しで山を走り回っていたのだろう。
家に帰り着く早々、水をザブザブ飲んで、ガツガツ御飯を食べたらしい。
動物の勘は本当にスゴイ。
そして我が家に一生懸命帰ろうとしてくれた事が本当に嬉しかった。
ジョンは父が亡くなった後も病気一つせず、家に一人ぼっちになった母を支えてくれていた。

そして今年の5月、ジョンは14年の犬生を閉じた。
今頃はきっと天国で父と一緒に幸せに過ごしている事だろう。

現在、実家には生後半年の子犬、“ラン”がいる。
ランはかなりのおてんば娘。
電話する度に母は『手に負えない』と言っているが、母の声は明るい。


(次回はやすさん)
posted by 酔いどれ at 22:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月18日

第十七話目『幸せエンドレス』 天竺堂

 還暦を迎えた父親に、当時ベストセラーだった赤瀬川原平『老人力』をプレゼントしたことがある。
 私は間違っていた。父親の読書嫌いを失念していたのだ。泳げない人に水泳パンツを贈るような愚挙だった。

 父親は『老人力』を放り出した。もったいないので私が読んだ。
 タイトルから漠然と「老人ならではの知恵と経験を活かして頑張ろう」みたいな内容を想像していたのだが(読んでいない本をプレゼントしてはいけませんね)、もっとユニークで画期的なことが書いてあった。
 著者は、物忘れや繰り言などの老人ならではの特徴を「老人力」と名付け、“新たな力”として位置づけている。そして例えば、ヨボヨボでフガフガな人を見たら「おお、なかなかの老人力ですな」なんて具合に使うのだ。
 老人のネガティブな面を、ポジティブに捉え直そう…という主旨。

 書きたいのは祖父のことだ。

 私の母方に、現時点で102歳になる祖父がいる。1世紀以上も生き延びるほどだから、その老人力たるや達人の域にある。

 あれは、親類縁者が集まって、祖父の卒寿の祝いを開いた時。
 曾孫どころか夜叉孫までいるので、子孫たちが一堂に会すると、なかなかに壮観だ。60人を超えていたのではないか。

 上座の祖父は、状況を把握できず、驚いたような顔をしていた。「ここはどこかい? 集まっとる人たちは誰かい? これから何が始まるのかい?」と不安がっている。知らない(あるいは忘れた)宴会場に連れて来られ、知らない(あるいは忘れた)面々が集まっているのだから、無理もない。
 親戚の1人が「みんな、ジイちゃんの卒寿を祝うために集まったんだよ。おめでとぉ!」と声を上げた。それに合わせて、一同ワァっと乾杯。
 これで祖父は納得できたようだ。「そうかいそうかい。有り難いなぁ。良かったなぁ」と、子孫たちへ向かって手を合わせ、涙まで流す。その両肩が、フルフルと震えている。
 さすがに会場は一時シンミリとなったが、ジイちゃんが喜んでくれていることが分かり、みんなも喜んだ。「集まって良かった」と思い、飲めや歌えの大宴会に。

 ところが。

 20分と経たないうちに、祖父はソワソワと周りを見回し、再び「ここはどこかい? どこに来たのかい?」と言うではないか。さきほどのハートウォーミングな一件など記憶からサッパリと消え去り、またも驚きと不安に襲われているらしい。
 すると誰かが「オッケーオッケー! みんな乾杯しよしよ。何度やったって楽しいから」。それに一同うなずいて、「みんな、ジイちゃんのために集まったんだよ。かんぱーい!!」と祖父へ向けてグラスを掲げた。
 祖父は「有り難い有り難い」と手を合わせて喜んだ。

 その夜。
 祖父は性懲りもなく、何度も現状を忘れ去った。
 子孫たちは飽きることなく、何度も乾杯を繰り返した。

 祖父にとって、これほど幸せなことはないだろう。
 大勢が集まり、自分のためにお祝いをしてくれる…その喜びが、繰り返し繰り返し、新鮮さを伴って祖父を包むのだ。
 老人力のタマモノだ。
 天国が実在するとしたら、それは幸せがエンドレスで続くところではないか? それを祖父は、この世にいるうちから早くも具現化しているのでは…そんなことを考えた。

 祖父は現在も、日々メキメキと老人力をアップしている。
 先日、会いに行ったら、仙人みたいな遠い目で、何やらモグモグつぶやいていた。この世の醍醐味を味わい尽くし、別の何かと語らっているように見えた。

 祖父のようでありたい。私も見習いたい。
 とりあえず物忘れが多いので、このまま“精進”していけば良いだろう。ジイちゃん、頑張るぜ。

 昨日の晩ご飯は? …職場でかじったカロリーメイト。
 一昨日の晩ご飯は? …職場でかじったカロリーメイト。
 ありゃ、いかんいかん。ちゃんと憶えてる…じゃなくて、こんな食生活だと、老人力が付くまで長生きできないぞ。

(次回は三女さん)
posted by 酔いどれ at 13:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月14日

第十六話目『父とシャーロット』 マユミ

私は父親似らしい。顔もどちらかといえばそうだし、感情や思ったことをあまり表に出さない所などは、自分でもそうかなと思う。
私はコロッケが大好きで、一度に6個食べたことがあるのだが、母に聞いた話では、新婚当時母が父に「何が食べたい?」と聞いたところ「コロッケ」と言ったので沢山作ったら、父は黙って7個食べ、そして動けなくなったらしい。
やっぱり似ていると思う。
 
しかし父との思い出となると、数えるほどしか覚えていない。
肩車をしてもらっている写真もあるし、小さい頃に動物園やデパートの食堂に行った記憶はあるので、たぶん連れて行ってもらったのだろう。
むしろ30代後半に脳梗塞で倒れて以来、入退院の繰り返しが多かったので、よく病院にお見舞いに行ったこと、その時の病院の様子や、同室のオジサン達に構ってもらった事の方をよく覚えている。あと演習や野営の帰りに、乾パンや金平糖、缶詰などを持って帰ってきたこと位か。
 
父の職業は自衛官だったのだが、病気がちなものだから当然出世もできず、50歳という若さで定年退職になってしまった。
「事務」だったと聞いていたのだが、数年前に母からある話を聞いた。
 
退職の日、母が直属の上司に挨拶に行った日の事。
上司から、「○○君(父のこと)は、実働もできないし、部屋の掃除をさせても机ひとつマトモに拭けないし・・・」と、さんざん嫌味を言われたそうだ。
母は(何十年もお世話になった最後の日に、どうしてこんな事を言うのだろう・・・)と、必死で涙をこらえたそうだ。
 
私たちが母からその話を聞いたのは、退職から20年も経ってからだった。
父から仕事の話を聞いたことはない。
それどころか、まともに親子としての会話をしたことも思い出せない。
15年ほど前に大きい梗塞を起こして以来、右半身と言葉が不自由になってしまったので、今でも正直な所、何を言っているのか聞き取れないことが多い。
 
そんな中、ほとんど唯一覚えている父とのまともな会話。
私が小学校2年生くらいの頃、学校で「お父さんお母さんの『好きな言葉』を聞いてきましょう」という宿題が出た。
家に帰り、父に「お父さんの『好きな言葉』はなに?」と聞いた。
父は「『平等』だよ」と答えた。
 
私には『平等』の意味が分からなかったので「『平等』ってなに?」と聞くと「『みんな同じ』ということだよ」と答えた。
この会話だけはなぜか今でもはっきり覚えている。
 
同じ頃、それまで住んでいた借家から、初めて中古の家を買って引っ越した。
雨漏りはするわ、床は抜けるわの、ものすごい家だったのだが、なぜかウキウキした。
父もそうだったのだろう、「壁を塗り直す」と、大量のスプレー缶を買ってきた。みんなでワイワイと壁をスプレーで塗っていった。
スプレーの色は明るい空色だった。
 
 
一時期、父母の仲がうまくいかなかった頃があった。
日曜日、母は私たちを連れて外に出ていた。父はひとりで家に残っていた。
家に帰ってみると、父が御飯を作っている事があった。大抵イモの煮たのとかカレーだった。イモは生煮えだったり、カレーには玉ネギが入ってなかったりして、子供ながらに(あんまり美味しくないな)と思いながら食べていた。
 
そんなある日曜、私たちが家に帰ってみると、映画のパンフレットがあった。
『オルカ』というシャチの話だった。(ひとりで映画を見に行ったんだ。いいなー。私も行きたかったな)と思った。
 
 
それから10年以上経ち、私は初めて「写真集」なるものを買った。
シャーロット・ランプリングという女優の写真集。彼女の事など全く知らず、ただ本屋で見つけて「この人綺麗!こういうタイプの顔って好き!」と、完全なジャケ買いだった。
パラパラとめくっていてびっくりした。
彼女は『オルカ』に出演していた。
 
 
今、父に「『オルカ』って映画知ってる?」と聞いたら、覚えているだろうか。
「昔、好きな女優さんとかいた?」と聞いたら、なんと答えるだろう?
 
 
 
                         (次回は天竺堂さん)
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2006年12月06日

第十五話目 「大いなる旅路」 MORI

数年前のこと。
夏、実家に帰ると、親父殿が「いやぁ、お前には知らさなかったが、今年はいろいろあったぞ・・・いやぁ、けっこうしんどかった・・・」などと話しかけてくる。親戚一同、一気に高齢化してきた昨今、ああ、また誰かあの世に召されたのか・・・などとぼくが思ったのも無理な話じゃないよね。

ところが。
実は・・・と、親父殿が語った内容を要約すると以下のごとし。

しばらく前に、実家がある住宅地の中に、学生向けアパートが建設されるという計画が突如持ち上がったらしい。持ち上がったというより、いきなり工事が始まってしまったらしい。
このあたりには複数の大学などもあり、学園研究都市などという大層な名称もいただいている。大学生向けのアパートが建設されるのも当然なのだが、なにせ古い住宅地でほとんどの住民が高齢化している中、夜っぴて騒ぐのが目に見えている学生アパートの建設が喜んで迎えられるはずはない。しかも、何のコンセンサスも得ず、突然の建設開始。建設主に申し入れをしても無視。工事は着々と進む。静かな住宅地のジジイたちの闘志にボワッと火がついた。

うちの親父殿は元・国鉄職員である。この住宅地そのものが、旧国鉄職員ばっかりなのである。ところで、この世代の国鉄職員の経験をなめてはいけない。戦時中には米軍の爆撃下を蒸気機関車でくぐりぬけ、戦後の混乱を経て、昭和末期には苛烈な労使闘争から分割民営化。とりわけ労使闘争で妨害工作を身につけたジジイどもだぜ。学生アパート建設関係者は、もっともコワイ奴らを敵にまわしたことに気づいていなかった。

使わなくなった毛布は、いやがらせコピーを書いた垂れ幕に変身。家々のブロック塀から垂れ下がる「建設反対」の文字に、建設機材運搬トラックの運転手は驚愕し、そのトラックも次の角から先には進むことはできない。反対運動メンバーのクルマが、建設現場を取り巻く狭い道路に駐車してあり、事実上の防御柵となっているのだ。

当然、工事は休止状態。2月から3月へと停滞はつづき、入居予定の若者が引っ越しできず、他の部屋を借りる事態に発展。業者が泣きつき、市役所の職員までが現場視察にやってくるが、ジジイたちはそんなもん屁でもない。逆に市役所の対応を批判して、撃退。この模様は、地域のマスコミにも取り上げられた。
結局、業者が泣きを入れ、アパートの階数減少と部屋数削減などの設計変更を行なった。ジジイたちは勝利を勝ち取ったのである。

「新聞も来たぞ・・・ほら」

うちの親父殿がちょっとオカシイのは、この闘争のすべてをスクラップブックに整理していることだ。国鉄時代の資料もスクラップしていて、たまに見せてもらうが、まさかこのような闘争まで資料化していたとは。

親父殿が開いたスクラップブックのページに、新聞記事の切り抜き。

「ほら。写真付きの記事」

あ。けっこうでかい記事だ。かなり注目された「事件」だったことがわかる。これって、ひょっとして笑い事じゃないやん。

「だからぁ、ほら、写真、これ」

ん?なるほど、市役所の職員に抗議する地域住民か・・・って・・・おやじ!!!!

こ、これ、ここに写ってるの・・・おやじ?

「そう、おれ、おれ」

最初、話し始めた時に「けっこうしんどかった・・・」などと渋い顔してたのに、今は、まんざらじゃないって顔になっている。

「意外に楽しかったんじゃないの?」と聞いたら、

「・・・うむ・・・おもしろかったぁ〜。わははは」だって。


でも、ぼくは覚えている。
国鉄末期の労使闘争時代。うちの父は管理職だった。そして、この住宅地のほとんどの住民は一般職員だった。労使問題が悪化した時、たとえ知人同士であっても労使間の中元歳暮などはもってのほか、同じ住宅地の中でも普段のあいさつすらタブーとなっていた。酒を飲めない父が泥酔して、「ざまはない。国鉄はもうどうしようもない。お前も国鉄なんかに入ろうと思うな」と、まだ大学生のぼくにこぼした夜が何度かあった。

その頃の敵味方が団結して、悪徳業者(まあそういうことにしておこう)に一矢を報いたのだ。なんて痛快なジジイたちだ。

その後、父は以前から好きだった囲碁を狂ったようにやりまくり、聞いたことのない団体から認可状をもらった(実は買ったのだと思う)と、額に入れて飾った。かと思ったら、昨年夏には、グランドゴルフで地域大会(といっても参加者数百人らしい)第2位になったのだと小学生の孫に自慢していた。

最後になったが、タイトルの「大いなる旅路」について一言。
これはぼくが小学生か中学生のころにやっていたテレビドラマで、三代にわたる国鉄一家の歴史を描いた大河ホームドラマだ。我が家では父を中心に全員でよく見ていた。
しかし、このドラマには元になった映画がある。同じ「大いなる旅路」というタイトルで、三国連太郎や高倉健が出演しているらしいが、ぼくはまだ観たことがない。
父が「あの映画はおれがモデルだ」と言っているのを聞いたことがあるが、真偽のほどは定かではない。



(次回はマユミさん)
posted by 酔いどれ at 01:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月02日

十四話目『一人旅への誘い』じぇいすむ

思えば昔から一人行動が多い。

今のようにマイカーも持たない年の頃、移動手段は『鉄道』駅から割りと近くに住んでたこともあって来る日も来る日も蒸気機関車を眺め、熱気と興奮を肌で感じいつかはコイツを動かす側になりたい!と本気で思ってた少年期。そんなんだから仮想旅行はたらふく行けた。時刻表だけでどこへも行けた。一度だけ両親に連れられて日帰りだけどどこかへ行った覚えがある。いや、正確には両親を連れて行ったかな?何時何分のどれそれに乗ってどこそこの駅で乗り換える、帰りはこれ。といった具合。時刻表を毎日毎日眺めてるだけで満足してたし駅にはホント足を運んだ。
そんな少年の胸中を察してか機関士に声をかけられ隣の駅まで乗せてくれた。もちろん泣き叫びたいほどの喜びで頑張って石炭くべをしたのは言うまでもない。一人だけの機関士体験。

いつも一人だったが好きなことしてるんだから面白くないはずがない。この頃から現在に至るまで楽しくって仕方がない『一人旅』

カメラという相棒が出来てからは事あるごとに走った。休日前になるとココは行ったなあそこにしようかといった具合。どこそこの駅で車を置いてそこからは乗り鉄。ん?やっぱり鉄か〜と一人で笑いながら。もちろんフルムーン年代なんで二人で出かけることも多々あり。でもどこかで必ず鉄絡み。

見るのも乗るのも撮るのも楽しい鉄道の旅。新幹線のようなビジネス特急じゃなく、ゆっくり走るローカル線の旅。さぁあなたも一人旅に出かけてみませんか?もちろん携帯電話なんてほったらかしてね。





(次回はもりさん)





posted by 酔いどれ at 03:02| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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